藤の名所として東京一と知られる亀戸天神社/歴史や見どころなど
亀戸天神社は学問の神様、菅原道真公をお祀りする神社です。
境内には24時間入れますが、ご本殿の開門は6:00~17:00となっています。
この記事では、亀戸天神社の見どころや歴史をご紹介いたします。
目次
亀戸天神社 歴史
1646年に九州の太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の神管をしていた菅原大鳥居真祐公(菅原道真公(すがわら みちざね)の末裔)が神のお告げにより、道真公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を彫り、天神信仰を広めるために日光や盛岡などを巡り歩きました。
そして江戸の本所だった亀戸村にたどりつき、村にもともとあった小さなほこらに御神像をお祀りしたことが始まりとされています。
当時、徳川幕府は江戸の大半を焼き尽くした、明暦の大火の被害による復興開発事業の土地を亀戸とさだめました。
四代目将軍家網公は天神様をあつく信仰し、鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄付しました。
1662年に太宰府天満宮の社にならい社殿、回廊、心字池、太鼓橋が創られました。
亀戸天神社 見どころ
亀戸天神社は太宰府天満宮を倣い造営されました。
境内は四季を感じることができる植物が植えられ、近場で亀や鳥をみることができます。
運が良ければ、アオサギに会うことができます。
アオサギは神の使いと言われていて、アオサギが飛来する所は神域とされ、神社の神様の使いであるとともに、魔や厄を祓うとされています。
アオサギを見るのは幸運の前兆ともいわれ、お金にも仕事にも困らなくなると言われているそうです。
心字池と太鼓橋
心字池(しんじいけ)は九州の太宰府天満宮を模していて、心の字をかたどった池のことを言います。
亀戸天神社の心字池(しんじいけ)には2つの太鼓橋が架かっています。
太鼓橋の男橋が過去、平橋が現在、女橋が未来を表しています。
大鳥居側の橋が男橋で、ご本殿側の橋が女橋です。
男橋
女橋
琴字灯籠(ことじとうろう)
琴字灯篭は男橋と女橋の間にあります。
名前の由来は、琴の弦を支える柱に似ているところから琴字灯篭と名付けられました。
金沢の兼六園の琴柱灯篭が有名ですが、亀戸天神社の琴字灯篭は、兼六園の琴柱灯篭よりも大きいです。
亀戸天神社は学問の神様をお祀りする神社のため、琴柱ではなく琴字と表記するそうです。
ご本殿
ご本殿の開門は6:00~17:00となっています。
花の見頃や行事の時期は大変混雑するので、時間に余裕を持ってご参拝ください。
神牛
ご本殿を向いて左側に神牛の像があります。
神牛の触ることで病を治し、知恵を授かると言われています。
菅原道真公は牛に縁のある話が多くあります。
生まれた年が乙の丑年(きのとのうし)で‘あったこと、濃厚牛を大切にしていたこと、白牛のおかげで刺客から逃げ切れたという言い伝えなどがあります。
そして菅原道真公の遺体を牛車におさめ移動していたところ、突然牛が動かかなくなり、その地に太宰府天満宮を建て直すことになり、この年も丑年だったそうです。
以来、牛は菅原道真公のお使いとして信仰されています。
五歳官公像(ごさいかんこうぞう)
菅原道真公神忌1075年の大祭記念として、昭和52年に奉納されました。
台座には「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」と5歳の時に庭園の紅梅を詠んだ和歌が刻まれています。
御嶽神社(みたけじんじゃ)
御嶽神社は卯の神様としてしられ、ご本殿の東側に建てられています。
菅原道真公の学問の先生が祀られています。
卯とは色々なことの始まりや広がっていく事を意味しています。
火災除、雷除、商売繁盛、開運の神様です。
花園社(はなぞのしゃ)
花園社は菅原道真公の奥様である宜来子(のぶきこ)様と14人の子供達がお祀りされています。
宜来子様は、道真公と同門の島田忠巨の娘で、幼い頃からの親しみでした。
道真公の左遷により、妻子は全国各地に別々に流されてしまいます。
悲しみの中でも宜来子様は、妻として母としての想いに変わりはありませんでした。
毎月2日曜日に花園社際を行い、母の日にちなみ赤い花をお供えし、お御霊を慰めています。
安産、子宝、育児、立身出世の守護神として信仰されています。
弁天社
太宰府天満宮の心字池の側に志賀社というお社(おやしろ)があり、海などの水をお守りする神様で、亀戸天神社へは寛文5年にお祀りされました。
亀戸天神社 藤の花
藤の花の見頃は4月中旬ごろです。
藤まつりは毎年4月中旬~4月下旬に開催されています。
(気候により見頃が大幅にずれる場合があります。)
藤まつりの明細情報は、下記の記事で紹介していますので、よろしければ御覧ください。
アクセス
亀戸駅北口から徒歩約15分。
錦糸町駅北口から徒歩約15分。
■駐車場
20台あり。
8:00~17:00まで無料開放しています。