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東京都最古のお寺浅草寺どんなところ?/16の見どころ/参拝コース

東京を代表する観光名所、浅草寺には、国内外から毎年3000万人以上の参拝客が訪れます。

浅草寺は東京都最古のお寺で、628年、推古天皇(すいこてんのう)の時代に建立されました。

浅草寺 見どころは沢山あり、1400年近い歴史を感じることができます。

この記事では、浅草寺 見どころと参拝コースを簡単にご紹介させていただきます。

浅草寺とは?

浅草寺は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)をお祀りするお寺で、源頼朝(みなもとのよりとも)、足利尊氏(あしかがたかうじ)、徳川家康など、多くの武将が祈願に訪れました。

浅草寺の始まりは、推古天皇(すいこてんのう)36年(628年)3月18日、隅田川で漁をしていた兄弟が投編みにかかった仏像を私宅に祀り、寺として改め生涯を礼拝供養に捧げたことが浅草寺の始まりです。

1400年近い歴史をもつ浅草寺 見どころは本堂や雷門の他にも沢山あります。

是非最後までご覧ください。

浅草寺 見どころ 参拝コース

浅草寺 見どころを参拝コース順でご紹介いたします。

雷門を出発して、16箇所の見どころ回り、浅草神社まで行くコースとなっております。

途中、ホッピー通りを通るので、休憩してから参拝を開始できます。

混雑状況にもよりますが、休憩抜きで2時間ほどみていただくと、ゆっくり参拝できると思います。

雷門

雷門は風神と雷神が守護する、浅草の総門です。

雷門と書かれた大提灯の前は常に記念撮影をする観光客で賑わっています。

正式名称は風雷神門と言います。

仲見世

日本で最も古い商店街の一つ、仲見世は雷門から宝蔵門まで、約250メートルの長さにわたり、道の両側に店舗が並ぶ浅草の表参道です。

仲見世という名前の由来は、浅草広小路(現在の雷門通り)に並ぶお店と浅草寺観音堂前に並ぶお店の中間にある、中店ということから仲見世と呼ばれるようになったそうです。

宝蔵門

仲見世の先には宝蔵門があります。

門の両側に仁王像が安置されていることから、元々は仁王門と呼ばれていました。

宝蔵門には元版一切経(げんばんいっさいきょう)が収蔵されています。

元版一切経とは国の重要文化財である経典です。

五重塔

宝蔵門をくぐると、左手側には五重塔があります。

五重塔の最上階には、1966年にスリランカのイスルムニヤ寺院から奉戴された、仏舎利(ぶっしゃり)というスリランカ由来の遺骨を収まる仏塔が保管されています。

五重塔は地上から建っているように見えますが、実際は基壇上の塔院の上に建てられています。

お水舎

お水舎は本堂の手前右側にあります。

お水舎の中央には、高村光雲(たかむらこううん)作の娑伽羅龍王(さからりゅうおう)の像が祀ってあります。

天井には東韶光(あずましょうこう)が書いた墨絵の龍が描かれています。

気づかない方もいるので、是非天井を見上げてみて下さい。

本堂

浅草寺の本堂は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が奉安されていることから、観音堂(かんのんどう)とも呼ばれています。

歴史が長い本堂ですが、今までに失火、落雷、延焼、地震により20回近く再建されてきたそうです。

天井の中央には、川端龍子(かわばたりゅうし)の龍之図が描かれています。

龍之図の左右には、堂本印象(どうもといんしょう)が描いた天人之図と散華之図が描かれています。

本堂の中央には、ご本尊を奉安する御宮殿(ごくうでん)があり、内部にはお厨子(ずし)が安置されています。

影向堂

本堂の左側に影向堂と敷地内に六角堂があります。

影向堂(ようごうどう)は、浅草寺の中興開山(ちゅうこうかいざん)をした、慈覚大師円仁様(じかくたいしえんにんさま)のご誕生1200年を記念して、1994年に建立されました。

影向堂には朱印所があり、参拝証として聖観世音菩薩と大黒天の朱印をお授することができます。

薬師堂

影向堂の向かいに薬師堂があります。

薬師堂は、江戸時代以前に建てられました。

浅草寺の建築物では、六角堂と二天門とともに古い建物です。

淡島堂

薬師堂の左の道を挟んだ向かい側所に淡島堂があります。

淡島堂は1688年から1704年に和歌山県の加太の淡島明神を勧請して建てられました。

東京大空襲で本堂が焼失した際に淡島堂は仮本堂とされていました。

銭塚地蔵堂

淡島堂の右側を奥に進むと、左手側に銭塚地蔵堂があります。

銭塚地蔵堂は商売繁盛のご利益があります。

堂内には、六地蔵尊が安置されていて、その下に江戸時代の貨幣である寛永通宝が埋められていると言われています。

新奥山

江戸時代時に浅草寺本堂の北西一体は奥山と呼ばれ、江戸一番の庶民娯楽の場でした。

奥山には、参拝者が休憩する茶屋、芝居、見世物、コマ回し、居合、奇術などの大道芸人が人々を楽しめました。

明治に入り、盛り場が六角に移るようになり、奥山の名前は消えていったそうです。

鎮護堂

伝法院通りにひっそりと鎮護堂があります。

鎮護堂は火除けや盗難除けの他に、タヌキを他を抜くという語呂として、芸能関係の信仰が多いことで知られています。

伝法院

伝法院は不定期で一般公開されます。

敷地内には江戸時代初期に築園された、国の名勝に指定された庭園が広がります。

伝法院の客殿には、阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)が安置され、左右には徳川歴代将軍と浅草寺歴代住職のお位牌が安置されています。

弁天山

本堂の南東にある小高い丘は、弁財天を祀る弁天堂が建っていることから、弁天山と呼ばれています。

浅草寺弁天堂のご本尊は白髪なため、老女弁天と呼ばれています。

この弁財天は、神奈川県藤沢市の江ノ島弁天と千葉県柏市の布施弁天と並んで関東三弁天として有名です。

弁天山にある時の鐘は、毎朝6時と大晦日の除夜の鐘で鳴らされます。

二天門

浅草寺本堂の東門、二天門は江戸時代初期1649年に創建され、古建築として国の重要文化財に指定されています。

当初は、豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)が守護神像として左右に祀られ、随時門(ずいじもん)と呼ばれていました。

1884年に神仏分離によって、守護神像は浅草神社に遷座されました。

現在、祀られている持国天(じこくてん)と増長天(ぞうちょうてん)の像は、1957年に上野の寛永寺の厳有院(げんゆういん)から拝領されました。

浅草神社(三社様)

浅草寺本堂の右側には、三社祭で有名な浅草神社があります。

浅草神社の社殿は国の重要文化財に指定されています。

浅草神社は浅草寺の創建をした土師真中知(はじのまつち)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)の三名を郷土神として祀る神社です。

当時の社名は三社権現社(さんじゃごんげんじゃ)だったため、現在もその名残から三社様と呼ばれています。

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